2013/03/29
インドのジャイサルメールで泊まっていた宿「TOKYO PALACE」のオーナーのカーンさん。この人が本当にいい人で、僕が体調を崩していた時も色々気遣ってくれました。他のお客さんが飛行機の手配をしたいといえば、近くの旅行会社に一緒に行ってくれたり、民族衣装を買いたいといえば、自分が買ってるオススメの生地屋に連れて行ってくれたり。でも、マージンをとったりしている様子もなく、本当に楽しんでもらいたいとか、助けてあげたいというような気持ちで動いているように感じました。宿の周りに住んでいる地元の人も、あそこのオーナーはいい人だって言ってました。周りにいる全ての人を喜ばせる!!サービスマンだなーと思いました。カーンさんは普段は日本にいる事が多いそうで、板橋の「ボンベイパレス」というインド料理屋でマネージャーをしながら、年に数ヶ月インドに帰ってきてトーキョーパレスを運営しているそうです。トーキョーパレスは、雰囲気は結構豪華なんですが、ドミトリーもあり、値段も安くオススメです。下の写真の部屋で1泊500ルピー(850円)。ジャイサルメールに来たらトーキョーパレス!! 大介
2013/03/27
2013/03/26
もうすぐアジアを抜け出してしまいます。なんかさみしいなぁ。遊んで遊んでー!という元気に寄ってくる子供としばらく遊んで、自分の方が先に疲れて「もうおしまい、また今度ね」という時のさみしさに似ています。旅に出て2ヶ月半。美しさには色んな種類があることを知りました。これからもまだ見たことのない美しいもの、それとの出会いをいつもひそかに期待しながら生活しよう決意しました。アジアで過ごした時間の中で、実はいつも買いものが億劫でした。それはかならず現地の人とのやり取り・かけ引きがあるから。でもそれは日本での暮らしの中に無言の時間がいつの間にか増えていたからかなと思います。インドでは苦労した電車の切符も日本では自動販売機で買えるし、お菓子や飲み物もコンビニでなんのストレスもなく買える。電車やバスに乗ってもできるだけ他の人に迷惑にならないように、みんなが過ごしやすいようにマナーを守ります。日本のいいところ故のことですが、人と関わることにすこし臆病になっていたかもしれません。とくにインド人はデタラメなことも多いですが、ストレートに思っていることを伝えてくれるので嫌な感じがしないんですね。教えてもらうことも多かったです。本当にすべては良し悪しですね。それはそうとずっと気になっていたのが、あきらかにだいちゃんはインド人に受け入れられているということ。なんでかなぁと考えていたのですが、やはりヒゲではないかと思います。恵美
2013/03/25
さてさて、今日もジャイサルメールにいます。そして大介先生が2度目の食あたりです。5m以上はトイレから離れられないような1日をのりこえて、今回は抗生物質と整腸剤に手を借りました。薬をひとつ飲むにも何時間もインターネット調査です。日本から持ってきた薬が一式あるものの、自分の身体ではない時の薬選びは必死です。子供が生まれたら薬に限らずこんなことの連続なんだろうなぁとドキドキです。そういうわけで昨日今日と静養しています。
食あたりの前の日、私たちはラクダに乗って砂漠へ行ってきました。ラクダに1時間以上乗るのはけっこう大変でしたが、初めて見る砂漠はやっぱりきれいで見とれました。砂漠で見る夕日は砂ぼこりの存在で月のように見えます。夜空と朝日は日本でいつも見ているものの方が美しいと思いました。砂漠から帰る途中でジプシーの村を通った時、何でもいいから食べものをちょうだいとねだる子供に会いました。私たちのお世話をしてくれた砂漠の住人もここで生きるのは食べ物も水も服もなくて本当に大変なんだと嘆いていました。確かに見渡す限り砂。砂漠を出るなんて考えたこともないのだろうか。それとも国の事情でここで生きなければいけないのだろうか。聞いてみたいことは沢山あったけど、言葉が通じない。彼らが私たちのご飯を作っている時の顔や、私たちをラクダに乗せて自分たちはひたすら歩く姿にどこか悲しみを感じてしまい、だからと言って自分たちの幸せを噛みしめるというのも何か違うような気がして、よくわからない気持ちになりました。悲観的に感じ過ぎているような気もします。ただ資源という言葉の意味がちゃんとわかった気がしました。恵美
食あたりの前の日、私たちはラクダに乗って砂漠へ行ってきました。ラクダに1時間以上乗るのはけっこう大変でしたが、初めて見る砂漠はやっぱりきれいで見とれました。砂漠で見る夕日は砂ぼこりの存在で月のように見えます。夜空と朝日は日本でいつも見ているものの方が美しいと思いました。砂漠から帰る途中でジプシーの村を通った時、何でもいいから食べものをちょうだいとねだる子供に会いました。私たちのお世話をしてくれた砂漠の住人もここで生きるのは食べ物も水も服もなくて本当に大変なんだと嘆いていました。確かに見渡す限り砂。砂漠を出るなんて考えたこともないのだろうか。それとも国の事情でここで生きなければいけないのだろうか。聞いてみたいことは沢山あったけど、言葉が通じない。彼らが私たちのご飯を作っている時の顔や、私たちをラクダに乗せて自分たちはひたすら歩く姿にどこか悲しみを感じてしまい、だからと言って自分たちの幸せを噛みしめるというのも何か違うような気がして、よくわからない気持ちになりました。悲観的に感じ過ぎているような気もします。ただ資源という言葉の意味がちゃんとわかった気がしました。恵美
2013/03/23
ジャイサルメールの街外れにあるガディサル湖。元々は貯水池だったようで、水溜りのようでもありますが、静かでなかなか居心地が良く、いい朝をむかえられました。
泊まっている「TOKYO PALACE」には日本人のスタッフの方がいて、今朝は何とご飯とお味噌汁と肉なし肉ジャガを頂く事ができました。インド料理が嫌なわけじゃないけど、久しぶりに日本食を食べると、「朝ごはん食べたー」という気になります。
JAPONの相馬くん似。
ジャイサルメール城塞。中にも外にも街が広がってます。
小さな商店のおじいちゃん。向いのおじさんが、このおじいさんを撮った写真を送れと住所を書いてくれました。帰国したら送ろうと思います。
オレのサングラスを奪って、写真を撮れという服屋のおっちゃん。クルクルパーと連呼してました。
洗濯物は家の壁か、屋上に干す。
大介
2013/03/21
昨日までいたジャイプルはピンクシティー、今いるジョードプルはブルーシティー、明日向かうジャイサルメールはゴールデンシティーと呼ばれています。建物の色からそう呼ばれていて、この3つの色を見てみたくてこのラジャスタン州を横断しています。ピンクシティーでは町のシンボルのピンク色した風の宮殿が改修工事中だったのであまりピンクを感じませんでしたが、ブルーシティーはたしかにブルーです。町の人になぜ青いのか聞いてみたらハイカーストだから、と返ってきました。なるほど。町のなかにそびえるメヘランガル砦の存在感は圧倒的で、登ってみると青の町を見渡せてなかなかの景色。ピンクシティーは都会でしたが、ブルーシティーは少し田舎。町の人もやたらに声をかけてきて、握手を求めてきて、みなさんユーモアがあるので笑わせてくれます。そういえば中谷美紀さんのインド旅行記にはホスピタリティーが自慢の町。と紹介されていました。ただ牛くささもハイレベルでホスピタリティーを超えてしまっているかもしれない。恵美
登録:
投稿 (Atom)